2021年10月14日

『「ご自愛する」という戦い方』を選択した、私の2年間の葛藤

『「ご自愛する」という戦い方』を選択した、私の2年間の葛藤
「大丈夫です。」と仕事を引き受け続け、ある日突然、自覚症状なく休職する可能性がある隠れストレス負債。
実際に隠れストレス負債が原因で休職を経験した、『ご自愛するという戦い方』の筆者・つっきーさんに、当時を振り返っていただきました。
つっきー

筆者:つっきー

feministな会社員。個人でコラムやエッセイのお仕事も。今は東京のIT企業でフルタイム・フルリモートしつつ、長野で暮らすという二拠点生活をしています。植物・ドラマ・宝塚が好き。
twitter: @olunnun
メールマガジン「ご自愛通信」: gojiai.theletter.jp

「東京に出て何者かになりたい」という、小っ恥ずかしい考えを真剣に抱いていた頃のことをようやく懐かしく思えるようになってきた。
私はいま30手前の会社員で、去年の冬に故郷の長野県に帰ってきたいわゆるUターン組である。
仕事はIT企業のマーケティング職で、帰郷を決めたのはコロナの感染拡大地域から少しでも逃れてリモートワークをしたかったというのもあるが、正直”東京で経験した過密すぎる日々”に疲れてしまった部分も否めない。

「こんな何もないところさっさと出たい」という一心で、町立図書館で毎日大学受験の勉強をしていた18歳の私に、「お前は10年後に特に何者にもならずに帰郷するぞ」と言ったら、泣きながら参考書を引きちぎるだろう。

念願叶って大学に進学し、就活人気ランキングに名前が並ぶようなIT企業に新卒入社してすぐ、過密すぎる日々が始まった。
あの頃のことは、ところどころ記憶が抜け落ちている。忙しすぎて、毎日降りかかるタスクを何とか打ち返すのに必死で、半年にも10年にも感じる時間だった。
終業が24時を超えるのはしょっちゅうで、そのあと同僚や先輩との飲み会に遅れて参加し、居酒屋で緊急対応のためにパソコンを開いてレスを返したり資料を直したりして、深夜に帰宅するというような日々。 24時間365日を会社に預け、土日のどちらも仕事をしない週末は珍しかった。むしろ「週末にガッツリ休まない方が月曜スムーズに働けていい」とさえ思っていた。

深夜だろうが誰といるときだろうが即レスできる方が周りに必要としてもらえる。本当は心身ともに少しずつ消耗していても、散らかった部屋に帰って寝るだけの生活が続こうとも、激務を通して得られる「仕事を頑張っている」というお墨付きのようなものがないと社会人として失格だと思っていたし、「できない奴」だと思われるのを何より恐れた。 意欲ある若手だと見られたくて、無理な依頼も「大丈夫です」と答え、会社で行われるストレスチェックでは、全ての項目に「問題ない」で回答した。「メンタルが弱くて使えない社員」だと思われたくなかったから。

前職の社内でも私のような社員はそこらじゅうにいて、何なら「私はまだまだ働き足りない方」とさえ感じていた。もっと働かなきゃ、もっと頑張らなきゃ、もっとできる人にならなきゃ、まだ全然想像してた大人と違う。まだ何者にもなれてない。もっともっともっと。
「仕事ができる」「何者か」になったら自分のことを好きになれると思っていたけれど、どこまで行ってもそうはならない。どんな自分であっても自分を愛せる「自己肯定感」と、できる自分を愛する「自己効力感」は全く違うということを知ったのはもっと後になってからである。

休職したベッドの上でさえ「馬車馬」だった

「私が自己効力感を求めて馬車馬のように働き数年が過ぎた頃、朝起きて突然背中の痛みに襲われた。息がうまくできなくなった。
医者へ行くと「仕事を休まなければ治らない」と言われ、診断書を会社に出すように言われた。「負けた」という気持ち半分、「これでやっと休める」という気持ち半分で休職期間に入った。

休職してしばらくはベッドの上で過ごしていた。幸い症状が重くなり過ぎないうちに休んだので体調は徐々に回復していったが、気持ちはあまり落ち着かず、人と話すのも億劫な状態が続いた。恐ろしいのが、休職しても「この休みを有効に使って何かに繋げなければ!」という思考からなかなか抜けられなかったことだ。何か文章を書いて賞に出そうなどと思い立っては書けずに自己嫌悪に陥ったり、映画を◯本見てエンタメの勉強をしようと決めて挫折して落ちこんだり、ベッドの上でさえ「何かしなければ」と空回りし続ける馬車馬であり続けていた。

ボルネオ島の海での大発見

馬車馬根性から抜け出すきっかけになったのは一人旅だった。やはり「この休みを有効活用せねば」という動機から、一人で初めて海外旅行に行った。そんな元気があるなら休職する必要はないだろうと思われるかもしれないが、当時の私は「何かためになりそうなこと」をしていないと耐えられなかったのだと思う。旅行代理店に行って、予算と日程を提示して勧められたボルネオ島に言われるがままに旅立った。

ボルネオ島は想像以上に何もなかった。ホテルの前に広いビーチがあるだけで、観光地は車がないと行けない。本当にやることがなかったし、本当は何かをやる気力などとっくに底をついていたので、4日ほど海辺で昼寝をしたり本を読んだりして過ごした。 スコールが降ったら雨宿りして、お腹が減ったら食事をして、眠くなったら寝た。海に沈む夕日を見た。時間と共に移動するパラソルの影を見た。海にぷっかり浮いて空を眺めている時、「私がサボっていても地球は回る」という大発見をした。 人生で一番贅沢な「何もしない時間」はあの4日間だっただろう。

帰国してからも瀬戸内海の島々へ旅を続けた。フェリーに乗って昼寝をしたとき、宿の屋上で月を見たとき、突然の雨のなかをどこまでも歩いたとき、やはり地球は回っていた。そんなに頑張らなくても、私は地球のどこかしらで案外楽しく生きていけるかもな、と思えるようになった。

会社には数ヶ月後に復職したけれど結局転職し、紆余曲折を経て今の会社に落ち着いた。似たような業界とはいえ、労働時間は休職前の2/3くらいにはなったと思う。まだ定期的な通院は必要だが、だんだんと「自分の頑張れる量」がわかってきて、生活も安定しはじめた。

今も消えない「馬力が少ない=劣っている」の思い

私の頑張れる量、私の積んでいるエンジンは、かつての自分がぼんやり想像していたようないわゆるバリキャリになるにはあまり向いていなかったのだ。そのことを自覚し・認め・受け入れるのに随分と時間がかかった。 ハードに働くための馬力が少ないのは「劣っていること」だと考える自分がどうしても消えなかった。今でも完全には消えていない。自分よりハードに働ける人を見ると複雑な思いがする。

けれども、人は仕事で何かを成し遂げて「何者か」になるためだけに生きるのか? そうでない人生は劣っている? そもそも「何者か」とは何? そんな問いかけが復職してからずっと心にある。この自問によって仕事と人生を切り離して見るようになり、少し肩が軽くなった。

長野への移住をすっぱり決められたのもそんな心境からで、実際に暮らし始めて職場との距離が物理的に離れると、労働時間と内容は変わらなくてもより仕事と生活を分けて考えるようになった。パソコンを閉じて外に出れば山や田んぼが見えるという環境も切り替えにはうってつけなのだろう。

時間と気持ちの余裕ができると、読書や散歩、料理、誰に見せるためでもない書き物などをすることが増えた。どれも幼い頃の自分が好きだったことだ。そして「何者か」になるために切り捨ててきたことでもある。本当にしたいことなんて昔から決まっていたのに、随分遠回りしてしまった。

長野の景色

自分が休んでも会社は回る。地球も回る

「自分を大切にする」というのはとても塩梅が難しい行為だ。 「ご自愛するという戦い方」という自分のブログが多少人に読まれたけれど、うまくご自愛できているとはいまだに思えない。 「せっかくバスったんだからなにかビジネスに繋げたりしないの?」と言われたこともあったが、私はメンタルヘルスの専門家じゃないし、今だって調子がいい日と悪い日を行ったり来たりしながらなんとかかんとか生活しているただの会社員である。

自分を大事にしよう思ってと仕事のペースを下げると「こんなんじゃ世間に置いていかれる……」と不安になり、かといってペースを上げると疲れてしまって「やっぱりバリキャリは無理!」となる。 車のガソリンメーターのように、自分にはどれくらい走る力があって、いつ休めばいいのかわかれば楽なのに、人間はそれぞれの走れる力と休みどころを自分で見極めなくてはならない。 自分を大切にするには、自分はどこまで頑張れてどこからは立ち止まるべきなのか知り、立ち止まった自分を認める必要がある。人によってはとても辛いことだ。かつての私のように。

けれども、自分が一人労働をペースダウンさせたり休んだりしたところで、会社もまわるし地球もまわる。そして100年経ったら今いる人はだれもいないのだ。勝手に色々背負い込んだところで、人ひとりなんてどっちにしろちっぽけなのである。 情熱大陸に出られるようなストーリーを持っている人でも、私や大多数の「何者か」ではない人も老いて死んでいつか忘れ去られる。ならば死ぬ前に自分で思い出す景色は、なるべく自分のお気に入りでいっぱいの方がいい。
私の場合は天気のいい日の昼寝とか、家族と過ごした時間とか、散歩で見た田んぼの夕日とか。そういったことがらと、仕事を成し遂げた時に得られる達成感や感動っと、どちらが優っている劣っているということはない。
大事なのは自分で何を選ぶのかなのではないか。今追われているそのことがらは、死ぬ前に思い返したいほど大事なことか? この問いは私の取捨選択を随分と楽にしてくれた。

とはいっても、働くことから逃れて生きるのは今の日本ではなかなか難しい。FIREとか寝そべり族といった単語も聞くようになったけど、大半の人は明日も働いて生きていかねば生活が回らない。 転職や休職で解決できるならそうするのも全然あり(私はどっちもした)だけど、完全に労働と生涯手を切って、自分の好きなことだけして生きていくのは困難だ。

どうしても辛いときや、タスクが重なってしんどいときは、「とりあえず一個でもできたら御の字」「たかが仕事」「仕事は家賃のため」「ミスっても来年誰も覚えてない」「暮らせてれば100点」などなどの意識低いワードを唱えるようにしている。
自分の抱えている不安を少しだけ軽くする決まり文句を自分の中に持っておいて、しんどくなったら復唱する。すると、「しょうがないな、やってやるか」「しょせん家賃のためだしな」と、仕事を小さく捉えることができて、なんとなくハードルが下がる。
意識が低い!と怒られそうだけど、私が生活するための仕事なので、ちゃんとやってれば意識高くなくたってよくない?と思うし、そのほうが持続可能性があるのだから良い。

人によって、「休む」と「働く」のちょうどいい塩梅も、調整の仕方もそれぞれだ。けれどご自愛というのは、自分には何が大切で、今はどんな状態で、どうしたら自分が楽になるかを知るところから始まるのだと思う。あなたの場合はどうだろうか。


「隠れストレス負債研究所」による解説

隠れストレス負債とは??
厚生労働省が推奨する「職業性ストレス簡易調査票の簡略版」での主観評価では高ストレス者判定されなかった85人のうち、約22%は脈の計測によるストレスチェックでは高ストレス者判定される「隠れストレス負債」を抱えていることが明らかになりました。(株式会社DUMSCOの「ANBAI」を使用した調査による)
また、こうしたストレスチェック受検経験者(83名)のうち、約30%が正直に回答しなかったことがあることが明らかになり、無意識の乖離だけでなく、意図的な乖離も発生しています。

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編集:高橋有紀

2021年10月14日

つっきー

feministな会社員。個人でコラムやエッセイのお仕事も。今は東京のIT企業でフルタイム・フルリモートしつつ、長野で暮らすという二拠点生活をしています。植物・ドラマ・宝塚が好き。